愛犬と私と(ベージ移動)

今日、飼い犬が亡くなった。名前をレイという。綾波レイからつけられたとかなんとかいう由来だが、この子が死んでも決して代わりはいないのだ。

 

彼(由来に反してオスだ)はつい三ヶ月前に水を飲んでいる最中に息が苦しくなり、一時は危篤となった。慌てて酸素ハウスを導入して小康状態となり一安心といったところだった。呼吸は腹式のものだし、時々荒くなっていたが。ハウスの中では外に出せと吠え、外に出せば走り回っていたのは一週間くらい前のことだろうか。この様子を見て家族一同「まだまだ元気だなあ」と確信していたものである。確かに、ここ二日くらいは元気がなかったが、これは気圧の変化による一過性のものだろうと思っていた。

いつか来るだろうと思っていたが、まさか今日になろうとは予想だにしなかった。身体がまだ動いていると見えたが、ただ毛が風に靡いていたのみだった。今は現実を直視したくなくて、この文章を寝室で書いている。もう一回下に降りたら、元気に甘えに行ったりしていないだろうか。私に吠えてきたりしないだろうか。全くもって受け入れがたい事実であるが、私はこれを受け入れねばならないのだろう。

何よりも悔やまれるのが、死に目に会えなかったことだ。今日の午後は休みで、家に直帰すれば傍にいることができた。そんなことはつゆ知らず、私は鉢合わせた友人と遊んでいた。「あそこで家に帰る選択をしていたら……」そんな思いが、今も心の中でぐるぐると回っている。

レイとの思い出は後悔がつきまとう。何か飼い主らしいことをしてあげられただろうか。

彼が最初に家に来たのは私が10歳を少し過ぎた頃、ちょうど中学校に入学しようかとしたところだった。物珍しさもあり、最初は散歩によく連れて行ったと記憶している。間もなく家庭内カーストを完成させ、彼の中では私の上に君臨していたようだ。両親や妹にはやたらとなつくが、私だけには隙あらば吠え、触ろうとすればすぐ逃げていた。私の中ではそれなりに世話をしていたように思うが、彼はそれを認めなかった。

家に半年も経つとこの傾向は更に顕著になり、私は近くにいるだけで吠えられるようになってしまった。あまりに煩くて、少々うんざりしていた。撫でようと思っても逃げられてしまってはどうしようもなかった。

そうして私は中学校に入学した。家に帰ると、これまでは一人だったが、レイの姿が見えるのはなかなか新鮮なもので(私は鍵っ子だった)、入学したての私の心の支えとなった。ほどなくして、私はゲームに熱中した。隣で夜を徹してゲームしたことは数えきれない。この時のことが彼に負担をかけていたのではないかと思うと後悔で胸がいっぱいになる。

高校受験に差し掛かると、熱中する対象がゲームから勉強に変わった。流石に徹夜することは少なかったが、やはり夜ふかしはダメージが大きかったのだろうか。受験は成功し、いわゆるトップ校と呼ばれるものに進学した。この頃になると、レイは「まあ、撫でられてやるか」と言うような顔で撫でさせてくれていた。彼なりの慈悲だろう。

つい二年くらい前から少しずつ老いを感じるようになった。足は遅くなったし、病院にかかる回数も多少は増えた。でもレイはやっぱり元気なそぶりをしていた。飼い主たちに似てずいぶんと重かった。去年からは少し食が細くなったような気もしたが、気のせいだと思っていた。

最近は朝起きたら夜まで帰って来ないような生活を続けていて、全然構ってやることができなかった。「こいつもおっさんになったなあ」などと思っていただけだった。もっと可愛がってあげればよかった。

呼吸困難で危篤になったとき、私は久しぶりに泣いた。この時も構ってあげられなかったことを後悔して、これからそう永くはないかもしれないけれど、精一杯優しくしてあげようと決心した。酸素の関係で長時間外に出すことはできなかったけど、出たときは毎回撫でた。

 

私は彼に何かしてあげられただろうか。今まで優しくしてあげられなかった分、しっかり優しくできただろうか。迷惑ではなかっただろうか。

彼は苦しまずに逝けただろうか。おそらく違うと思うが、だからこそ、なおさら傍にいてあげたかった。

 

レイの写真はほとんどない。手持ちを漁ったが、8年前のものしかなかった。撮らなかった自分が恨めしい。十数年間、一緒に過ごしてくれたレイのことを忘れるわけにはいかない。忘れたくもない。

だからこうやって、私は長文のポエムを書くのだ。今まであったことをずっと覚えていられるように。

 

願わくば、レイが天国で幸せに生活していることを。

 

 

2019年6月13日